スペイン/バルセロナ(アントニオ・ガウディーの建築)


 地中海に面し、フランスに隣接するカタルーニャ地方の首都。カタルーニャ人の言葉は、 フランスのプロバンス語に似たカタラン語(カタルーニャ語)を母語とし、標準スペイン語 (カスティーリャ語)と共に公用語となっている。道路の案内や駅の案内では二つの言葉が 表示され、我々旅行者にとっては戸惑ってしまいます。

 多くの私立系の学校ではカタラン語で授業が行われ、公立校でもカタラン語に移行しつつ あるようです。ピカソ、ミロ、ダリの前衛芸術を育て、建築においては、ガウディーに多く の仕事の場を提供し、そんな芸術的審美眼を持っているバルセロナの人々です。


スペイン、バルセロナ、アントニオガウディーのグエル公園
グエル公園の立体道路
アントニオ・ガウディー

 19世紀末のバルセロナでは、カタルーニャ独自の文化 を作ろうという運動が高まっていた。これが「モデルニス モ」と呼ばれ、フランスの「アール・ヌーボー」に並ぶ、 近代主義の思想でした。

 ガウディーは、このモデルニスモを代表する一人でした。 建築はいかに才能があっても、良き理解者である施主に巡 り会わなければ、良い作品を作ることは出来ませんが、ガ ウディーはグルエ氏という良きパトロンを得、数々の作品 作りました。

 

スペイン、バルセロナ、アントニオガウディーのグエル公園
グエル公園のモザイクタイルのベンチ
世界遺産のガウディーの作品

 ガウディーの作品の中で、「グエル邸」「グエル公園」 「カサ・ミラ」がユネスコの世界遺産に指定されています。
 築100年ちょっとの建築物が、世界遺産に指定された のには驚きであり、これはいかにガウディーが偉大であっ たかということでありましょう。

スペイン、バルセロナ、アントニオガウディーのグエル公園
グエル公園パビリオン
グエル公園

 ここは未来の住宅地を構想して造られた60棟の分譲住宅地であったが、 買い手が付かず、工事は途中でストップし、商業的には失敗に終わる。

 住宅は二棟だけ完成し、一棟はガウディーの住宅となったので、実際 には一棟だけが売れたことになる。あまりにも先進的、あまりにも夢を 追い過ぎたので、販売価格も驚くほど高かったのかもしれません。商業 的には失敗に終わりましたが、この土地は市に寄贈されグルエ公園とし て一般に公開されて、人々の目を楽しませてくれています。

スペイン、バルセロナ、アントニオガウディーのカサ・パドリョ
カサ・パドリョ
カサ・パドリョ

 ガウディーのデザインで改修された住宅。海がテーマ として造られており、魚の鱗を思わせる屋根や、壁面に 埋め込まれた色とりどりの、ガラス・モザイクがライト アップの光を受け、反射して美しい。夜になると、この ようにライトアップされています。

スペイン、バルセロナ、アントニオガウディーのカサ・ミラ
カサ・ミラ
カサ・ミラ

 1905年から5年の歳月をかけて完成した。 切り出した岩を荒削りした材料を使って、建築 している為に別名「ラ・ペドレーラ」(石切場) が通称となっている。

 バルセロナの近くにモンセラットという岩山 があり、これを見たガウディーがイメージして 造ったとも言われています。

スペイン、バルセロナ、アントニオガウディーサグラダ・ファミリア(聖家族教会)
サグラダ・ファミリア正面から上を見上げる
サグラダ・ファミリア

 ガウディーの晩年は、グルエ公園の自宅からサグラダ・ファ ミリアの現場に歩いて通い、時には現場に泊まり込み、この 仕事に打ち込んでいた。そんな生活をしていたある日、家か ら現場に向かう途中で、電車にはねられて事故死していまう。

 死後70年経つけれども、工事は引き継がれ、カタツムリ のような鈍い速度ではありますが、工事は進行しています。 資金のメインは観光客による入場料でありますから、あと完 成まで100年とも200年とも、いやもっとそれ以上だと も言われています。

milla
サグラダ・ファミリア「キリスト降臨の部分」
 はたして、ガウディーが考えていたものにどれだけ 近いものが出来るでしょうか?

 なにしろ、ガウディーの建築は平面図とか立面図の とかの2次元図面では表現出来ないものであり、模型 である程度表現できても、細部までは表現出来ません から、ガウディー自らが監督指揮しなければできない、 オーケストラ的建築なのですから。

 ガウディーの意思にそうようなものが出来ることを 願っています。でもガウディーが天国で見ていて、我 の考えよりも良く出来ておるわい。などと、笑ってい るかもしれませんね?

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